脂質膜の相転移
「環境変化が引き起こす脂質分子集合系の構造変化」
■背景
生体膜は脂質とタンパク質で構成されています。その脂質の中で多数を占めるグリセロリン脂質は、3価アルコールであるグリセロールを骨格として、2本の疎水鎖と1つの極性頭部を有する両親媒性物質です。従って、水溶液中では自己会合して二重膜構造の分子集合体(ベシクルやリポソームと呼ばれます)を形成し、生体膜はこの二重膜構造を基盤にしています。リン脂質二重膜は、温度、圧力、溶媒、塩濃度、pHのような周囲の環境変化に鋭敏に応答し、膜の構造変化、すなわち相転移を引き起こします。リン脂質は、疎水鎖と極性頭部の組み合わせにより様々な種類が存在し、これら脂質が形成する二重膜は、脂質分子構造に依存して多様な相転移を示すことが知られています。ここでは、真核生物の生体膜に含まれる主要リン脂質であるホスファチジルコリン(CnPC:図1)が形成する二重膜の相転移が、疎水鎖間の相互作用にどのように依存しているのか説明します。
図1 (a)CnPCの分子構造、(b)C16PCの凝縮(サブゲル、ゲル)相における立体構造。
図2 (a)C16PC二重膜のDSCサーモグラムとエンタルピーダイアグラム、(b)C16PC二重膜が温度と圧力に依存して取りうる膜状態。緑色はサブゲル相、青色はゲル相、赤色は液晶相。
図3 CnPC二重膜の温度−圧力相図:(a)C12PC、(b)C13PC、(c)C14PC、(d)C15PC、(e)C16PC、(f)C17PC、(g)C18PC、(h)C19PC、(i)C20PC、(j)C21PC、(k)C22PC。緑線はサブゲル相関連転移、青線はゲル相間転移および赤線はゲル−液晶転移、破線は準安定相間転移。C12PC二重膜の相図は50%エチレングルコール中で得られた結果。最下段右部はC16PCが高圧力下で形成する指組み構造ゲル相の模式図。
■研究概要
常圧下、ジパルミトイル−PC(C16PC:DPPC)二重膜に対する示差走査熱量測定の結果とその膜状態を図2に示します。C16PC二重膜は、温度に依存して4種類の膜構造(サブゲル(水和結晶)相、ラメラゲル相、リップルゲル相および液晶相)をとり、サーモグラム上には3つの相転移(サブゲル−ゲル(副)転移、ゲル−ゲル(前)転移、ゲル−液晶(主)転移)に対応した吸熱ピークが現れます。1回目の測定直後に実施した2回目の測定では、ラメラゲル相が準安定相として出現するため副転移は観測されません。
我々は、生体膜研究に実験変数として圧力を導入しています。元来、脂質二重膜の環境変数感受性は非等方的であるため(例えば、温度上昇に伴うゲル−液晶間の主転移では、膜は膜面に対して縦(垂直)方向には小さくなりますが、横(平行)方向には逆に大きくなります)、等方的な圧力の適用は新規な膜状態を誘起します。図3にCnPC(n = 12 - 22)二重膜の相転移を温度と圧力の関数として測定した結果(脂質二重膜の温度−圧力相図)を示します(文献1)。加圧により3種類の相転移温度は直線的に上昇し、鎖長14以上のCnPC二重膜では高圧領域において非二重膜構造の一種である指組み構造ゲル相を誘起します。これらの温度−圧力相図から、脂質膜の状態は脂質分子の疎水鎖長に顕著に依存し、鎖長と共にその膜状態を系統的に変化させていくことが理解できます。さらに、温度−圧力相図を詳しく調べることにより、CnPC二重膜においては、(1)ゲル−液晶転移は鎖長12以上で起こる、(2)鎖長12と13および14と15を境界にしてゲル相の安定性(安定、準安定、不安定)が変化する、(3)圧力誘起指組み構造ゲル相は鎖長14から21までの鎖長範囲においてのみ誘起される、(4)長鎖CnPC(鎖長20以上)二重膜のサブゲル相形成は著しく時間を有する、などの重要な事実が明らかとなりました。ここでは示しませんが、温度−圧力相図と同時に得られる相転移熱力学量からは、副転移は疎水鎖長依存的な遅い過程、前転移は疎水鎖長非依存的な速い過程、主転移は疎水鎖長依存的な速い過程、であることを特徴づけることができました。
■科学的・社会的意義 生体膜は数百種類以上の脂質から構成されています。一体、何故このような多くの脂質が存在するのでしょうか。単に膜を形成するだけなら、数多くの種類は不必要でしょう。しかし、脂質は闇雲に存在しているわけではなく、合目的な理由が何かあるはずです。我々は、これまでにリン脂質の分子構造を様々に変化させ、これら脂質が形成する二重膜の相転移を特徴づけてきました。結果、温度−圧力相図上に規定される脂質膜の相転移は、各脂質に固有な特徴を包含し、その脂質が生体膜において果たす役割と密接に関連していることがわかりました(文献2、3)。脂質膜の相転移に関する系統的な研究は、生体膜中における存在意義や役割の不明な脂質が形成する二重膜の構造特性と共に、機能に関しても有用な情報を与えてくれます。
■参考文献
1)松木 均, 後藤優樹, 玉井伸岳 (2014). "飽和ジアシルホスファチジルコリン二重膜の温度および圧力誘起相転移" 熱測定 41(2): 66-73.
2)松木 均, 後藤優樹, 玉井伸岳 (2013). "生体膜脂質の膜状態 –圧力研究から見えてくる構造機能相関–" 高圧力の科学と技術 23(1): 30-38.
3)Matsuki, H. (2015). "How Do Membranes Respond to Pressure?" In High Pressure Bioscience – Basic Concepts, Applications and Frontiers (Akasaka K and Matsuki H, eds.), Subcellular Biochemistry, Springer, in press.
■良く使用する材料・機器
1) 示差走査熱量計 (マルバーン事業部(スペクトリス株式会社))
2) 可視紫外・蛍光分光光度計 (株式会社日立ハイテクノロジーズ)
3) 高圧関連実験機器 (株式会社シン・コーポレーション)
H26年度分野別専門委員
徳島大学・大学院ソシオテクノサイエンス研究部・ライフシステム部門
松木 均 (まつき ひとし)
https://www.bio.tokushima-u.ac.jp/A1/