一般社団法人 日本生物物理学会(生物物理について)

感覚情報処理

「温度の感覚情報が体の低温耐性や温度順化を変化させる仕組み」

■背景 温度は地球上で常に存在している感覚情報のため、生物は多様な温度環境に適応進化してきました。ここでは、動物が受け取った温度の感覚情報が、どのように体の温度への慣れや耐性を調節しているかを、シンプルな動物の研究から紹介します。


図1 線虫の低温耐性と低温馴化(温度順化)。線虫C. エレガンスは25℃で飼育された後に2℃に48~96時間置かれると死滅するが、15℃で飼育された後に2℃に置かれても生存できる低温耐性を持つ。さらに、25℃飼育された線虫を3~5時間だけ15℃に置くことにより2℃で生存できるようになる温度(低温)馴化も示す。



図2 低温耐性と温度順化における温度の感覚情報が伝わる仕組み。温度は頭部の3対の温度受容ニューロンであるADL、ASG 、ASJで受け取られる。ADLではTRPチャネル、ASGではメカノ受容体(DEG/ENaC)が温度受容体として機能する。ADLのTRPチャネルの上流にはまだ見つかっていない他の温度受容体の存在も予想されている。ASJの温度受容体は見つかっていないが、3量体Gタンパク質を介して温度情報が伝わる。温度情報はASJから尾部の介在ニューロン(PVQ)に送られて、再度、頭部の介在ニューロン(RMG)に情報が伝わり、その情報が腸に伝わることで腸の内臓脂肪の量を調節し、低温耐性を変化させる。また、ASJからホルモン(インスリン)によって腸に情報が送られる経路もある。腸は精子に働きかけ、精子が頭部のASJの温度受容の感度を変化させるという組織間のフィードバック制御も見つかっている。 ■研究概要 体長1 mmの線虫C. エレガンスがもつ低温耐性と温度順化をつかい、温度がどのように感覚ニューロンで受け取られて、その感覚情報がどのように体の温度耐性や慣れを調節しているかを調べています。線虫の低温耐性とは、例えば、25℃で飼われた線虫を2℃に置くと死んでしまうのですが、15℃で飼われた線虫は2℃でも生き残る現象です。さらに、25℃で飼育された線虫を3時間だけ15℃に置くと、2℃で生き残れるようになる低温順化(温度順化)も示します。この低温耐性と温度順化には、頭部の温度を感じる神経細胞(温度受容ニューロン)のはたらきが必要です。さらに、温度受容ニューロンから電子回路のように繋がってる神経回路も大切です。神経回路の最終地点から微小な分子(神経ペプチド)は放出され、それが腸で受け取られることで、腸の内臓脂肪の量を変化させて、寒さに強くなったり弱くなったりします。 ■科学的・社会的意義 地球温暖化や局所寒冷化は現代社会の大きな課題です。生物がどのような生体の仕組みによって高温や低温に適応や耐性をもつかを調べることで、温暖化や寒冷化に強い家畜や農作物を開発することに繋がります。また、低温耐性に関わる遺伝子の解析から、生命を低温で長期生存させるための技術の創出にも繋がることが期待されます。 ■参考文献 1) Ohta A., Ujisawa T., Sonoda S., Kuhara A. (2014).
Light and pheromone-sensing neurons regulate cold habituation through insulin signaling in C. elegans
Nature communication, 5: 4412, 1-12
2) Sonoda S., Ohta A., Maruo A., Ujisawa T., Kuhara A. (2016).
Sperm affects head sensory neuron in temperature tolerance of Caenorhabditis elegans
Cell Reports, 16, 1, 56–65
3) Okahata M., Wei A. D., Ohta A., Kuhara A. (2019).
Cold acclimation via the KQT-2 potassium channel is modulated by oxygen in Caenorhabditis elegans
Science Advances, 5, 2, 1-12
4) Takagaki N., Ohta A., Ohnishi K., Kawanabe A., Minakuchi Y., Toyoda A., Fujiwara Y., Kuhara A. (2020).
The mechanoreceptor DEG-1 regulates cold tolerance in Caenorhabditis elegans
EMBO reports, 21, e48671, 1-14
5) Motomura H., Ioroi M., Murakami K., Kuhara A., Ohta A. (2022).
Head-tail-head neural wiring underlies gut fat storage in Caenorhabditis elegans temperature acclimation
PNAS, 119, 32, e2203121119, 1-9 ■良く使用する材料・機器 エビデント スピニングディスク型共焦点顕微鏡システム IXplore Spin (IX83)
横河電機 スピニングディスク型共焦点システム CSU-W1
東海ヒット 顕微鏡ステージトップ温度制御装置
ニコン 実態蛍光顕微鏡 SMZ18
浜松フォトニクス SCMOSカメラ ORCA fusion、ORCA fusionBT、W-view gemini
ナリシゲ 微動マイクロマニピュレーター
ヒラサワ テーハー式・電動分注器 FHシリーズ
ニチリョー ニチペットAir

執筆者
2022年分野別専門委員
甲南大学統合ニューロバイオロジー研究所/理工学部生物学科
久原篤(くはら あつし)、太田茜(おおた あかね)
http://kuharan.com/index.html


 

「環境情報を受け取り、生存に役立てるしくみ」

■背景 生物は環境からの情報(光、におい、味など)を受け取り、それを感覚として脳などで処理することにより行動(繁殖、栄養摂取など)を決めています。このしくみはどうなっているのでしょうか? 20世紀後半から21世紀はじめの研究により、その実態が明らかになってきました。



図1 ヒトと同様にサルも視覚、味覚、嗅覚などを使って食べ物を選ぶ。写真はニガウリを食べようとしているニホンザル。




図2 苦味受容体の変異による特定の苦味のわからないニホンザルの発見
野生型では開始コドン(メチオニン)から苦味受容体タンパク質が作られるため、苦い食べ物は食べないで捨ててしまうが、紀伊半島由来の何頭かのニホンザルは変異により受容体タンパク質が働かないため、苦い食べ物も食べてしまう(文献1より改変)。

■研究概要 動物を例としますと、感覚情報は、まず、目や鼻、口などの感覚器官にある「感覚受容体」により受け取られます。光やにおい、味などの要素である光子・におい物質・呈味物質等は細胞の表面にある感覚受容体に結合し、その細胞の中のタンパク質群が連動して最終的に神経細胞の電位変化という電気信号に置き換えられます。その後、その信号が脳の中の「感覚野」に到達し、さらにいろいろな感覚情報や生体内の生理情報が統合処理されることによって、生物は行動を決めるわけです。私たちは、環境からの情報を受け取る感覚受容体に注目することにより、動物の行動がどのような環境情報を処理して進化・適応してきたのかを明らかにしたいと考えて研究を進めています。特に、食べ物を選ぶのに重要な味覚を対象とした研究を主に行い、生息環境での食べ物と比較検討しています。
その結果、ヒトに進化的に近いがより生息環境に依存しているチンパンジー、ニホンザルなどでは、遺伝子レベルで味覚に個体差や地域差が存在することがわかってきました(文献1,2)。また、食べ物の違いが報告されているサルの種の間では、同じ味を感じる味覚受容体でも感度が違うことがわかって来ました(文献3,4)。これらの感覚受容体の性質や脳での感覚情報処理が、生物の進化や行動に影響を与えている実態が明らかになってきました。

■科学的・社会的意義 本研究は、野生動物の行動や進化を理解するのに役立つとともに、ヒトに近いサルをモデルとすることにより、ヒトの進化やヒトの体の中で起こっている感覚情報処理のしくみを明らかにすることに役立つと期待されます。ヒトでの食文化の地域的な違いも、もしかしたら遺伝的要因による味覚受容体の変異や味覚情報処理の地域差に由来するかもしれません。

■参考文献 1)Suzuki N, Sugawara T, Matsui A, Go Y, Hirai H, and Imai H. (2010) Identification of non-taster Japanese macaques for a specific bitter taste. Primates 51: 285-289. PMID: 20665225

2)Hayakawa T, Sugawara T, Go Y, Udono T, Hirai H, and Imai H. Eco-Geographical Diversification of Bitter Taste Receptor Genes (TAS2Rs) among Subspecies of Chimpanzees (Pan troglodytes). PLOS ONE 7: e43277 (2012). PMID: 22916235

3)Imai H, Suzuki N, Ishimaru Y, Sakurai T, Yin L, Pan W, Abe K, Misaka T, and Hirai H. (2012) Functional diversity of bitter taste receptor TAS2R16 in primates. Biology Letters 8: 652-656. PMID: 22399783

4)今井啓雄(2012)ポストゲノム霊長類学 「新・霊長類学のすすめ」(京都大学霊長類研究所編)丸善京大人気講義シリーズp.162-177.

■良く使用する材料・機器 1) 分光光度計(島津製作所、日立製作所)
2) 実験試薬 (和光純薬株式会社
3) 冷却CCDカメラ(アンドール)

H24年度分野別専門委員
京都大学・霊長類研究所
今井啓雄 (いまいひろお)
https://www.pri.kyoto-u.ac.jp/sections/molecular_biology/index.html