一般社団法人 日本生物物理学会(生物物理について)

放射線生物学

「放射線生物反応と生体システムの理解」

■背景 物理的刺激の一つである放射線は、生体に様々な反応を引き起こします。この反応の基本は生体と放射線との生物物理学的相互作用なのですが、その生物物理学的相互作用の全容は明らかにされていません。放射線生物学は生物学的アプローチを主に駆使してこの謎に迫ります。



図1 放射線と生体との相互作用

■研究概要 放射線の一種である重粒子線を使って、がん細胞の殺傷効果やその生物物理学的なメカニズムを研究しています。
物理学的過程では、放射線の影響が生体を構成する原子や・分子レベルで起きます。その後、化学的・生化学的過程ではフリーラジカルの生成やDNA損傷の生成が観察されます。さらにDNA損傷が酸素(O2)と化学反応を起こす酸化・還元反応も同時期に観察されます。生物学的過程では酵素を使ったDNA損傷の修復、染色体の修復が観察され、主な細胞の生死がこの段階で決定されます。また、DNA損傷に応答して、細胞内では様々なシグナル因子が活発になり、遺伝子発現・抑制を介して特定のタンパク質の増加や減少が観察されます。細胞内での反応が、時間経過と共に組織レベル、個体レベルにまで進展し、放射線によるヒトへの影響として観察されます。放射線による発がんやがんの治療、突然変異を利用した植物の育種など、我々の生活に身近なところで放射線の効果を知ることができます。放射線生物学は、原子・分子レベルから、DNA、染色体、細胞、組織、個体といったいくつもの階層で他の物理的な刺激では観察されないユニークな生物影響が現れるため、そのメカニズムの解明研究が行われています。今、放射線を使ったがん治療や育種研究では重粒子線と呼ばれる原子をイオン化した粒(つぶ)の放射線が世界的にも注目され、広い分野で研究されています。

■科学的・社会的意義 本研究は、重粒子線がん治療の更なる改良につながるとともに、今まで知られていない重粒子線や放射線と生物個体との生物物理学的相互作用を解明することにより、放射線生物反応や生体システムの新たな理解につながることが期待されます。

■参考文献 1)Imaizumi A, Hirayama R, Hasegawa S et al, Neon ion (20 Ne10 +) charged particle beams manipulate rapid tumor reoxygenation in syngeneic mouse models. Cancer Sci. 2024 115 :227-236.
2)Ito A et al., LET Dependence of 8-Hydroxy-2'-deoxyguanosine (8-OHdG) Generation in Mammalian Cells under Air-Saturated and Hypoxic Conditions: A Possible Experimental Approach to the Mechanism of the Decreasing Oxygen Effect in the High-LET Region. Radiat Res. 2024 Online ahead of print.

■良く使用する材料・機器 1) 倒立型生物顕微鏡システム(株式会社ニコン)
2) 正立型生物顕微鏡システム(株式会社オリンパス)
3) 低酸素培養システム(株式会社アステック)

2024年度分野別専門委員
量子科学技術研究開発機構(QST)・重粒子線治療研究部
長谷川純崇 (はせがわすみたか)
http://www.qst.go.jp






 

「放射線刺激応答解析と生体システムの理解」

■背景 放射線は原爆のイメージや東電福島第一原発事故が生じたことで、怖い存在と感じる方も多いと思いますが、我々の周囲には常に放射線が存在し、医学にも利用されています。生物は太古から放射線をある程度感じて進化してきたともいえます。放射線と共存してきた我々の体には物理的な刺激である放射線に反応して駆動するシステムがあると考えられます。それはどのようなものでしょうか?

■研究概要 放射線の物理的刺激は物理化学的過程を経て生物学的過程として生体反応が観察されます。(図1)。これまでに放射線は直接的にDNAを傷つけDNA損傷を起こす一方で、水の分解を経て生物に障害を間接的に起こし生物反応を誘起させ、DNA損傷修復、抗酸化能の活性化などが駆動されることがわかってきています。これらの反応の誘起で細胞が防護され生存する場合もありますが、傷ついた細胞を排除して変異細胞として残さないように細胞死(アポトーシス)に導く反応も起こります。
放射線への応答反応機構の研究として3つのことを紹介します。
1. 放射線の被ばくが個体レベルでどのような反応を誘起するのか、そしてそれはどのような影響へと繋がるのかをとらえること。
 この解析では、できれば純化された細胞培養系だけではなく、個体内臓器レベルで様々な角度から網羅的に変化する分子をとらえてモデルの構築ができないかを追求しています。線量依存的に変化する分子マーカーの探索にもつながります。現在は肝臓に焦点をあてていて、これまでに2次元電気泳動、質量分析を駆使したプロテオミクス解析を行い、タンパク質発現変動をとらえてこれまで知られていなかった、しかし生物には太古から備わっていたと考えられる放射線防御能を見出しました(1)。また抗体アレイも用いたオミクス解析(網羅的解析)も行い、長期低線量率でひばくした場合と急性被ばくで照射された場合でのマウス個体内でのタンパク質発現変化に大きな違いがあることも見出し、今後放射線影響の指標として用いることができないか検討しています。
2. 放射線影響を修飾する因子の解明
 放射線の影響を高めたり、低めたりする環境因子を見つけようとしています。因子としては高カロリー食を摂取した場合や飲酒など生活習慣に起因するもので解析を行っています(2,3)。これらが明らかになれば生活する上で習慣改善により放射線影響に限らず障害から身を守り健康増進に結びつく可能性もあります。また放射線影響を低減させるような因子の探索を放射線により生じる小核形成の増減等を指標にして行われています。
3. 様々な種類の放射線や放射線マイクロビームの利用による生体応答反応の解析
放射線には様々な種類があり、それぞれの放射線の物理的性質に応じた生物影響を考える必要があります。また粒子放射線(重粒子線、陽子線)やX線でも絞り込むことで細胞1個や細胞内部域を狙って照射を行うことができます。このような設備をもちいることで細胞1個への影響が他の細胞に与える影響(バイスタンダー効果)や細胞内での核外領域での放射線応答反応の性質などを解明することも行われています(4)。これらは分子レベルでの放射線応答の機構解析の理解に貢献しています(5)。

最後に国立研究開発法人量子科学研究開発機構(https://www.qst.go.jp/
また電力中央研究所・放射線安全研究センター(https://criepi.denken.or.jp/jp/rsc/index.html)、若狭湾エネルギー研究センター(https://www.werc.or.jp/)のURLを記載します。様々な情報が載っていますので参考になればと思います。

■参考文献 1.T. Nakajima. Med.Sci.Monit. 21, 1721-1725, 2015
2.G. Vares et al., PLoS One 9(8) e106277, 2014
3.T. Nakajima et al., PLoS One 11(1) e0146730, 2016
4.M. Maeda et al., Radiat. Res. 174(1) 37-45, 2010.
5.M. Tomita and M. Maeda, J. Radiat. Res. 56(2) 205-219, 2015

■科学的社会的影響 放射線応答性の理解は放射線の生物影響の科学的基礎データとして貢献します。また、放射線を利用したがんの治療、診断などの医学利用にも寄与します。

■良く使用する材料、機器 1)2次元電気泳動解析機器各種(GEヘルスケアバイオサイエンス株式会社)
2)実験試薬(和光純薬工業株式会社
3)蛍光顕微鏡(MODEL-BX53-F)システム(オリンパス株式会社

■キーワード 放射線応答、酸化ストレス、DNA修復、オミクス解析、マイクロビーム

平成28年度分野別専門委員
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構放射線医学総合研究所
中島徹夫