バクテリアべん毛

「細菌が持つ精巧で柔軟な巨大運動器官」

■背景
私たち人間が動くときに足を使うように、細胞が運動する時には運動器官を用います。大腸菌やサルモネラ菌といった、核を持たない単細胞生物(細菌・バクテリア)は、体に1本から数本の毛を生やし、水中を泳ぐ際の運動器官として使っています。これがバクテリアべん毛です。核を持つ生物(真核生物)も運動器官として鞭毛を持っていますが、バクテリアべん毛とは形も動く仕組みも全く異なります(図1)。いったいどんな仕組みでバクテリアべん毛は機能するのでしょうか?




図1 (A)真核細胞の鞭毛運動。ウニ精子や緑藻クラミドモナスの鞭毛は、ATPをエネルギー源とする微小管とモーター蛋白質ダイニン間の相互作用によって鞭毛が屈曲し、鞭を打つような動きを繰り返して液体中を泳ぐ。鞭毛は多様な蛋白質から成り立つ複雑な構造である。(B)バクテリアのべん毛運動。大腸菌やサルモネラ菌は体に複数のべん毛を生やしている。バクテリアのべん毛は、フラジェリンという蛋白質から成り立つ螺旋状繊維で、真核細胞の鞭毛よりずっと単純である。べん毛の根元には細胞の表層に埋まったモーターがあり、モーターが左回転するとべん毛が束になって推進力を得るが、右回転するとべん毛の束がほどけて動けなくなる。




図2 バクテリアべん毛の模式図。エネルギー源として使われる共役イオンの違いにより、H+駆動型とNa+駆動型に分けられる。べん毛は基部体、フック、べん毛繊維から成り立つ。ビブリオ菌の基部体には、大腸菌やサルモネラ菌では見られないHリングやTリングが存在する。基部体周囲にはイオンを透過し力を発生する固定子が集合し、H+またはNa+が流れると、固定子Aサブユニットの細胞質側と回転子のCリングにあるFliGが相互作用して回転力が生み出されると考えられている。


■研究概要
バクテリアべん毛のはたらく仕組みを理解するために、様々な条件下における細菌の運動を、光学顕微鏡を使って詳しく観察しました。すると、ATPをエネルギー源とする真核細胞の鞭毛と異なり、バクテリアべん毛は細胞膜を介したイオン(H+またはNa+)の電気化学的勾配をエネルギーとして利用することがわかりました。さらに、電子顕微鏡で単離したべん毛を観察すると、べん毛はフラジェリンという蛋白質で出来た螺旋状繊維で、その根元は細胞表層に埋まった回転モーターにつながっていることがわかりました。すなわち、モーターが回転することでべん毛繊維がスクリューのようにはたらき、細菌細胞は泳いでいるのです(図1、文献1、2)。これまでに、べん毛遺伝子の同定が進み、べん毛蛋白質の生化学的性質も詳細に調べられ、生物物理学を駆使してべん毛繊維の物性やモーターの特性、立体構造が次々に明らかとなってきています(図2、文献3、4、5)

■科学的・社会的意義
バクテリアべん毛の機能する仕組みを明らかにすることで、既存の人工モーターと異なる原理で動作する、新しいナノマシンを生み出すことが期待できます。べん毛繊維や、ユニバーサルジョイントとしてはたらくフック、回転子リングは、柔軟な性質を持つ素材としても注目されています。また、感染性の細菌が宿主の細胞に感染する時に、べん毛運動が関わっていることも明らかになってきました。べん毛研究の知見によって、感染症予防への貢献が期待できます。

■参考文献
1)相沢慎一 (1998) PNEモノグラフ「バクテリアのべん毛モーター」共立出版
2)Terashima, H., Kojima, S., Homma, M. (2008). Flagellar motility in bacteria structure and function of flagellar motor. Int. Rev. Cell Mol. Biol. 270, 39-85.
3)Yamashita, I., Hasegawa, K., Suzuki, H., Vonderviszt, F., Mimori-Kiyosue, Y., Namba, K. (1998). Structure and switching of bacterial flagellar filaments studied by X-ray fiber diffraction. Nat. Struct. Biol. 5, 125-132.
4)Sowa, Y., Rowe, A. D., Leake, M. C., Yakushi, T., Homma, M., Ishijima, A., Berry, R. M. (2005). Direct observation of steps in rotation of the bacterial flagellar motor. Nature 437, 916-919.
5)Samatey, F. A., Imada, K., Nagashima, S., Vonderviszt, F., Kumasaka, T., Yamamoto, M., Namba, K. (2001). Structure of the bacterial flagellar protofilament and implications for a switch for supercoiling. Nature. 410, 331-337.

■良く使用する材料・機器
1)暗視野および蛍光顕微鏡システム(株式会社オリンパス
2)実験試薬 (和光純薬株式会社
3)CCDカメラ(浜松ホトニクス株式会社)
4)界面活性剤(株式会社同仁化学研究所)
5)クロマトグラフィーシステムとカラム(GEヘルスケア・ジャパン株式会社)


H24年度分野別専門委員
名古屋大学・大学院理学研究科・生命理学専攻
小嶋誠司 (こじませいじ)
https://bunshi4.bio.nagoya-u.ac.jp/~bunshi4/profile/kojima.html