レチノイドタンパク質
「タンパク質が働くときの“かたち”の移り変わりを色の変化から追う」
■背景
ビタミンAとその関連化合物は総称して「レチノイド」とよばれますが、それらは私たち生物のからだの中で起こる反応の様々な場面で利用されています。例えば、有名なものとして、動物の眼の網膜には、レチノイドの1つであるレチナールを内包した「ロドプシン」と呼ばれるタンパク質が存在しています。ロドプシンは、光を高感度で感知するセンサーとして働き、夜間に暗闇で私たちがものを見分けることができるのはこのタンパク質のおかげです。また、レチノイドを持ったタンパク質の重要性は何もヒトをはじめとする高等動物に限った話ではありません。古細菌や真正細菌とよばれる様々な微生物の一部にもロドプシンと類似のタンパク質が存在することが分かってきています。微生物のもつロドプシンの役割は動物のそれとは違っており、光を使って菌の生存に必要なエネルギー(ATP)を作る機構に役立てられたり、べん毛の動きを制御して菌の泳ぎをコントロールするためのセンサーとして使われています。微生物型のロドプシンは、そのユニークな性質から、タンパク質の働くしくみを調べる上での優れた素材というだけでなく、応用面においても最近注目されつつあります。
図1 微生物型ロドプシンの光反応時における光吸収(色)の変化
図2 酸化スズ(SnO2)ガラス透明電極を用いた微生物型ロドプシンの光反応時における水素イオンの放出・取り込みの測定法の概略
図3 古細菌の一種であるHalobacterium salinarumがもつセンサリーロドプシンII(HsSRII)の光反応。光反応サイクル中に書かれたアルファベットは中間体を表す。
■研究概要 タンパク質は通常は無色透明の物質ですが、光(ここでは主に可視光をさす)を吸収できる分子(発色団とよぶ)を内部に取り込むことで、色を呈するようになります。微生物型のロドプシンの場合、発色団であるレチナールと結合することで、可視領域の光を吸収できるようになります。例えば、バクテリオロドプシンとよばれる古細菌由来のタンパク質では、約570 nm(黄緑色光)をピークとする光を吸収するため、このタンパク質を細菌から実際に単離すると、黄緑色の補色である紫色に色付いたものが取れてくることが一目で分かります(図1)。このように色が付いていることで私たちはものの存在を簡単に識別できるようになります。この色で認識できるという性質は、実はタンパク質の機能を調べる上でとても役に立つ性質です。微生物型ロドプシンは光が当たると、そのエネルギーによって光を吸収する本体であるレチナールが構造変化し、それにともなって周りを取り囲むタンパク質の構造も変わります。このときのタンパク質の“かたち”の変化は、レチナールが熱反応で再び元の構造に戻るのにともない徐々に緩和され、最終的には最初の状態へとリセットされます。この光反応の過程では、いくつかの中間体とよばれる遷移状態が形成されますが、それぞれの中間体は異なる光の吸収(色)をもっているために、私たちはこの吸収の変化を測定することで、これらの中間体を検出することが可能になるのです。このように個々の中間体の光の吸収が異なるのには、それぞれの中間体の構造の微妙な違いやタンパク質を構成するアミノ酸のうちの側鎖に解離基をもつアミノ酸(例えばアスパラギン酸やグルタミン酸など)の解離状態の違いなどが関係しています。こうした構造の変化やアミノ酸の解離状態の変化は、タンパク質の機能とも密接に関係するため、この変化を追跡することはタンパク質の働くしくみそのものを理解することにつながります。私たちは、フラッシュ・フォトリシス法とよばれる高感度の時間分解分光測定法を用いて、これらのタンパク質で起こる光反応について詳細な解析を行っています。また、この光反応の過程でタンパク質中のあるアミノ酸から起こる水素イオンの放出や取り込みを、溶液中での水素イオン濃度の変化に敏感に応答する酸化スズ被膜でコーティングした電極を使った実験手法を用いて調べています(図2, 文献1, 2)。参考までに、これらの方法を駆使して私たちが明らかにしたある微生物型ロドプシンの光反応の一例を図3に紹介します(文献3)。こうした詳細な反応スキームを光吸収測定という簡便な手法を使って明らかにすることができる点は、このタンパク質の大きなメリットと言えるでしょう。
■科学的・社会的意義 生命の営みは、それを支える様々なタンパク質の働きによって成り立っているため、それらのタンパク質がどのようなしくみで働いているのかを理解することは、生命現象を理解する上で重要なことです。しかし、タンパク質が働くときの動的な変化を調べることは、なかなか容易なことではありません。微生物型のロドプシンは、私たちにとって最も身近な光である可視光の吸収を利用して、その働くしくみを比較的簡単に調べることができるという点で非常に優れた研究対象です。このタンパク質を使った研究で明らかになった分子機構は、まだ情報量の乏しい他の多くの重要なタンパク質のしくみを理解するためのヒントとなるかもしれません。また、微生物型ロドプシンは光によってその反応を制御できるというもう1つの重要な特徴をもっています。この性質を使って、光により細胞の働きをコントロールするという技術も実際に開発されており、今後益々、応用の幅が広がっていくことが期待されます。
■参考文献
1)Tamogami, J., T, Kikukawa, et. al. (2009). “A Tin-Oxide Transparent Electrode Provides the Means for Rapid Time-resolved pH Measurements: Application to Photoinduced Proton Transfer of Bacteriorhodopsin and Proteorhodopsin.” Photochem. Photobiol. 85(2): 578-589.
2)田母神淳, 菊川峰志 (2011). “SnO2透明電極を用いた光受容タンパク質のプロトン移動解析” 生物物理 51(1): 42-43.
3)Tamogami, J., T. Kikukawa, et. al. (2010). “The Photochemical Reaction Cycle and Photoinduced Proton Transfer of Sensory Rhodopsin II (Phoborhodopsin) from Halobacterium salinarum.” Biophys. J. 98(7): 1353-1363.
■良く使用する材料・機器
1) 実験試薬 (和光純薬株式会社)
2) 各種分光測定装置 (日本分光株式会社)
3) 分光測定用セル (株式会社ユニソク)
H29年度分野別専門委員
松山大学・薬学部・生物物理化学研究室
田母神淳 (たもがみじゅん)
https://yakugaku.matsuyama-u.ac.jp/laboratory/labo_biophysical-chemistry.html