一般社団法人 日本生物物理学会(生物物理について)

鞭毛・繊毛運動

「真核細胞が生やす毛が起こす運動のしくみ」

■背景
図1 (左)クラミドモナスの軸糸横断面の透過型電子顕微鏡像。(右)軸糸の模式図。軸糸は、9組の周辺二連微小管が2本の中心対微小管を取り囲む「9+2」構造をもつ。各周辺二連微小管上には、モータータンパク質ダイニンの外腕と内腕が結合している。(電子顕微鏡写真は苗加彰博士(中央大・理工)より提供。)



図2 クラミドモナスの顕微鏡像(左)と、鞭毛が1回打つときの波形を重ね合わせた模式図(右)。クラミドモナスは2本の鞭毛を人間の平泳ぎのように動かして泳ぐ。

真核生物の細胞には、運動する毛が生えている場合があります。例えば、動物の精子は鞭毛(べんもう)で泳ぎます。ゾウリムシは、細胞の周りのたくさんの繊毛(せんもう)を動かして泳ぎます。こうした単細胞で泳ぐものだけでなく、動物の体内、たとえば哺乳類の気管の上皮細胞にも繊毛が生えており、これらが粘液の流れを起こすことで異物を排出しています。多くの場合、細胞から生える本数が少なくて長い(おおむね >10 μm)ものを鞭毛(べんもう)、本数が多く短いものを繊毛(せんもう)と呼びます。しかし、鞭毛と繊毛は相同の細胞小器官であり、それらの細胞膜の内部には、「9+2」という特徴的な構造をもつ「軸糸(じくし)」が共通して存在します(図1)。この精密な構造は、どのようにして出来上がり、どのようにして動くのでしょうか。

■研究概要 鞭毛・繊毛運動の研究には、ウニやホヤなどの海産動物の精子、ゾウリムシやテトラヒメナなどの繊毛虫、そして遺伝学的研究が可能な緑藻クラミドモナス(図2)などがよく用いられます。これらの生物の光学顕微鏡による運動観察、電子顕微鏡を使った9+2構造の詳細な観察、また構成タンパク質を調べるための生化学的な解析などによって、次のようなことがわかってきました。9+2構造の基礎骨格はチューブリンと呼ばれるタンパク質の重合によってできる微小管という繊維状構造です。運動の原動力を生み出すのは、9組の周辺二連微小管上に結合しているダイニンと呼ばれるモータータンパク質です。ダイニンは外側の外腕ダイニンと内側の内腕ダイニンに大別され、これらがATPの加水分解エネルギーによって隣り合う周辺二連微小管の間に滑りを起こすのです。軸糸は、チューブリンやダイニンの他にも、ダイニンの活性調節、二連微小管間の連結、微小管の補強など、様々な機能をもつ1,000種類以上のタンパク質が組み合わさってできていると考えられています。近年、クライオ電子顕微鏡を使った解析や、ダイニンの一分子レベルでの運動観察実験により、これらのタンパク質のどれとどれがどのように相互作用して軸糸の精緻な構造が構築されるのか(文献1)、どのようにしてダイニンと微小管の滑り運動が鞭毛・繊毛の波打ち運動に変換されるのか(文献2)、といった大きな謎が少しずつ明らかになってきています。

■科学的・社会的意義 ヒトの体には、脳室上皮細胞、気管上皮細胞、卵管上皮細胞、そして精子などに鞭毛・繊毛運動が見られ、生命の誕生や生体防御などの重要な役割を担っています。また、初期胚の一時期にノードと呼ばれる部位に繊毛運動が見られ、これが体の左右非対称な発生(たとえば、心臓は左に、肝臓は右に…)に関わっています。そして、これらの鞭毛・繊毛の運動異常は、原発性不動繊毛症候群という疾患につながります。本研究は、こうした疾患の治療に応用されることが期待されます。

■参考文献 1)Ma, M., Stoyanova, M., et al. (2019). “Structure of the decorated ciliary doublet microtubule.” Cell 4:909-922.
2)Lin, J., Nicastro, D. (2018). “Asymmetric distribution and spatial switching of dynein activity generates ciliary motility.” Science 360(6387):eaar1968.

■良く使用する材料・機器 1) 光学顕微鏡 BX-53 (エビデント)
2) 高速度カメラ HAS-L2 (DITECT)

R06年度分野別専門委員
京都産業大学生命科学部
若林憲一 (わかばやしけんいち)
https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/professors/ls/wakabayashi/index.html