一般社団法人 日本生物物理学会(生物物理について)

抗体工学

「抗体を改造してその働く仕組みを理解し、社会に役立てる」

■背景 我々のからだは免疫系により異物(抗原)から守られています。風邪をひいても自然に治るのも、免疫系の働きの一つです。そこでは、免疫系が体内に侵入したウイルス抗原を退治します。免疫系には300を超える分子が関わっています。その中でも、抗体は免疫系の初期の段階で主要な役割を果たしているタンパク質の一つです。抗体の特徴の一つは、抗原に対する高い親和性と特異性にあります。しかし、個人が持つ抗体の遺伝子数は限られています。一方で、抗原の数は無数にあります。限られた数の抗体遺伝子が、どうやって膨大な数の抗原に対応しているのかが長年の謎でした。しかし、その後、抗体が生体内で遺伝子組換えを起こし「進化」することで、抗原に対応していることが明らかにされました(文献1)。つまり、限られた遺伝子を用いて、膨大な数の抗体をつくる仕組みを我々は体内に備えています。 また、抗体は、その立体構造にも大きな特徴があります。X線結晶構造解析により、抗体の立体構造が明らかにされました(図1)。学校の教科書でY字の形をした抗体の絵を見たことがあるかもしれません。分子レベルで見ても、そのようなY字型をしています。図1では特徴的な領域ごとに色をつけています。抗体はL鎖(オレンジ)とH鎖(青)からなります。Y字の先端部分にある相補性決定領域(Complementarity determining regions; CDRs, 黄/赤紫/水色)で抗原を認識します。6つのCDRs (L1, L2, L3, H1, H2, H3)以外の領域はフレーム領域と呼ばれます。CDRsは遺伝子レベルで見ると非常に多様性の高い領域となっています。しかし驚くべきことに、その遺伝子配列の多様性にも関わらず、CDRsは、中央にあるH3(図1赤紫)を除く5つの立体構造のバリエーションは限られていました(文献2)。 抗体はこのように、大きさや多様性の異なる部分構造から構成されています。こうした特徴を生かして、抗体はさまざまな分野へ工学的に応用されてきました。



図1 抗体の立体構造とその構造多様性 一番右側の図は複数の抗体を重ね合わせて描いています。他と比べ、CDR-H3と呼ばれる領域(赤紫)が特に多様な構造を取っていることがわかります。CDR以外の領域はフレーム領域とも呼ばれています。この図は、参考文献4に基づき改変して作成しました。



図2 抗体取得から設計・評価・応用までの流れ



図3 抗体工学の一例: マウス抗体のヒト化 目的の結合能を持つマウス抗体の6つのCDR領域(水色/黄)を、ヒト抗体のフレーム領域(紫/緑)へ移植します。こうすることで、抗体の中のマウスの遺伝子配列の割合を減らすことができます。ヒト化した抗体は、マウスCDRsの持つ結合能を維持しつつ、ヒトの免疫系に対しては反応しないことが期待できます。

■研究概要 抗体は医薬品や検出試薬、バイオセンサーなど、さまざまな応用が期待されています。応用するためには、まず目的の抗原に結合する抗体を取得しなければなりません(図2)。抗体は、従来はマウスなどの動物に目的の抗原を投与(免疫)することで取得されてきました。近年ではファージディスプレイ法に代表される試験管内進化法を用いて、動物免疫を用いない抗体取得も可能となっています。動物免疫や試験管内進化などを用いずに、コンピュータだけを用いて、特定のウイルスに結合できる抗体を作成するような研究も始まっています。抗体と抗原の相互作用も、タンパク質という物質同士の相互作用なので、物理法則に支配されています。そこで、抗体を取得した後は、物理化学測定装置などを用いて、その物性を評価します。目的の結合能を持つ抗体を取得できれば、次はより高品質(高い親和性・特異性・安定性・低い抗原性)になるように、その改造を行います(図2)。ここでは通常のタンパク質工学の手法の出番です。遺伝子工学により、その遺伝子配列を改変し、抗体に目的の性質を持たせます。近年は、研究者のカンと経験に頼るだけではなく、コンピュータを用いた合理的な設計も可能になりつつあります(文献3)。どのような物性に着目するかは目的によりけりです。例えば、抗体を医薬品として使う場合には「抗原性」が大きな問題となります。結合能を維持しつつ、抗原性の低い抗体を設計する必要があります。一例をあげると、マウスから取得された抗体は、ヒトに投与すると免疫反応を起こしてしまいます。この問題を回避するため、マウス抗体を「ヒト化」するという研究も行われてきました(図3)。一方で、バイオセンサーとして抗体を使う場合には、「熱安定性」が大きな課題となります。さまざまな環境下で利用できるようにするためです。

■科学的・社会的意義 抗体工学の研究は、抗体-抗原相互作用の改変とその物性評価を通して、抗体がどんな物理法則に支配されているかを解明するのに役立ちます。さらに、工学的技術を駆使して抗体を改造し、社会へ応用することが期待されています。

■参考文献 1) Tonegawa S. (1983). "Somatic generation of antibody diversity" Nature. 302(5909):575-81.
2) Lesk AM, Chothia C. (1988). "Canonical structures for the hypervariable regions of immunoglobulins" Nature. 335(6186):188-90.
3) Kuroda D, Shirai H, Jacobson MP, Nakamura H. (2012). “Computer-aided antibody design” Protein Engineering, Design, and Selection. 25(10):507-522.
4) Kuroda D, Tsumoto K. (2018). “Antibody Affinity Maturation by Computational Design” Methods in Molecular Biology. in press

■良く使用する材料・機器 1) SPRなどの物理化学測定装置 (GEヘルスケア社など)
2) MacOSのパソコン (Apple)
3) 共同利用施設のスーパーコンピュータ

H29年度分野別専門委員
東京大学・工学系研究科
黒田 大祐(くろだだいすけ)
https://sites.google.com/site/dkuroda1905/