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日本生物物理学会からの新型コロナウイルス感染症についての声明

2020年05月08日 その他

 新型コロナウイルスのヒトへの感染が世界中で広がっています.この危機を乗り越えるべく,医療現場で感染者の診断や治療をはじめとする各種対応に携わっていらっしゃる方々や,医薬品,生活必需品等の製造、供給に携わっていらっしゃるすべて皆様に感謝申し上げます.

 ヒト感染症の大流行は今回が初めてではありません.記憶に新しいところでは,エボラ出血熱(2019年),鳥インフルエンザウイルス(2005年),SARSウイルス(2003年),ヒト免疫不全ウイルス(通称エイズ:1983年),少し古いものではアジア風邪(1956年)やスペイン風邪(1918年)など,さらに歴史的なものではコレラ(19世紀~),ペスト(6世紀~),天然痘ウィルス(紀元前~)などがあげられます.感染症に悩まされるのはヒトに限らず,すべての生き物は常にウイルスとの闘いを強いられています.そのため感染症は生き物の進化や在り方に決定的な影響を与えています.遺伝情報と有機物から自身のコピーを作り続ける“生命”という現象と感染症は本質的なかかわりがあり,感染が世界中に広がることは,私たちホモ・サピエンスが遺伝的に均一であることとも関係しています.

 日本生物物理学会はあらゆる生命現象を,様々な観点から掘り下げて理解することを目的としています.あつかう生命現象の中には,ウイルス感染と流行にかかわる全てのものが含まれています.すなわち,ウイルスが結合するヒト細胞表面の受容体,ウイルスのヒト細胞への侵入に関わる細胞膜ダイナミクス,ウイルスが自身を複製する生体分子合成,ウイルスが細胞をのっとることによりサイトカインストームを引き起こすシグナル伝達,ウイルスが増殖するため,あるいは隠れて生き延びるための遺伝子変異と進化,などです.

 私たち生物物理学者の多くは医療従事者のように直接,感染者の治療に携わっていません.では何をすれば社会的な責務を果たせるのでしょうか?まず、第一に,感染症を含めた様々な生命現象について,科学の観点で正しい情報を伝えることで社会や個人から不要な不安をできる限り取り除くお手伝いをすることです.ニュース番組や日常会話で遺伝子,PCR,抗体,などの生物学用語が繰り返し述べられることは,半年前には想像もつかなかったことです.今,世界中の人たちが新型コロナウイルスの感染という生命現象に注目し,生命への理解を欲していると思います.生物学だけでなく,物理学,化学,数理科学,情報学など多岐にわたる学問分野を有する生物物理学研究者であれば,だれしもが多かれ少なかれ貢献できるはずです.

 もうひとつは,私たちが治療や感染制御の方法を開発するお手伝いをすることです.現在,新型コロナウイルスに効果があるのではないかといわれているいくつかの治療薬や,感染を予防するワクチンの開発について話題になっています.ワクチンは不活性化したウイルスやそのタンパク質,ゲノムなどをあらかじめ投与することによって体内に抗体を作らせ,ウイルスが感染した際に速やかにその抗体で攻撃することでその増殖を防ぐ方法です.一方,ウイルスのヒト細胞への感染から細胞内でのウイルス増殖,細胞からの放出までの経路のどこかを妨げる化合物が薬となります.薬を創るためには,ウイルスの構造,ウイルスを構成するゲノム,タンパク質,脂質などについて明らかにし,ウイルスの感染,増殖から放出までの機構を知る必要があります.日本生物物理学会会員のなかには,X線結晶構造解析やクライオ電子顕微鏡によるウイルスの構造決定,ウイルスのヒト細胞への感染に関わる細胞の受容体タンパク質の研究,ウイルスの増殖に関係するゲノムの複製やタンパク質の合成に関する研究など,ウイルスを知るための研究を行っている研究者も多くいます. これらの研究が薬の開発につながったり,私たちが見つけた概念や方法がウイルス制圧のヒントになることもあります.

 私たち生物物理学者は常日ごろ,一見すると直接社会の役には立たない基礎生物学の研究に明け暮れています.これは現代社会の繁栄があって初めて成り立つことで,このような研究ができる環境にあることに感謝してもしきれるものではありません.日本生物物理学会はこの有事に,会長・理事をはじめ,全ての会員が生物物理学という研究に従事することの意味と、ひとりひとりに何ができるかを真剣に考え,感染大流行の克服に向けた社会的責務を果たします.


一般社団法人日本生物物理学会
会長 原田 慶恵



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